2020年も猪突猛進した1年でした。 [バレー]


スポパのおすぎです。

今日で2020年も最終日。

この1年どんな動きがあったか振り返ってみる。


【スポパの2020年】
・1月
東海大会を初めて毎週土日開催をした時。
開催場所のバリエーションもグッと増え、開催数が急激に増えた時期。
東海大会、大躍進の始まりでした。
関西大会では兵庫開催を本格的に始動し始めた頃。

・2月
コロナ禍の始まり。
体育館の休館、自粛キャンセルが始まる。
その中でついに始動した関東大会。
東海大会では初の岐阜開催を実施。
関西大会では滋賀大会に注力し始めた頃。

・3月
コロナ禍の猛威。
体育館の休館、自粛キャンセルが続出。
体育館の変更、変更、変更でなんとか乗り切る。
メールの通知音、電話のなる音が怖く、気が狂いそうな時期だった。
そんな中、東海大会では初の三重開催。
2回目となる関東大会では前日に参加チーム数が半分になる事態に。
エントリーが減っていくこれほどエグい恐怖感を味わったのはこれが最初で最後。

・4月
相変わらず闘っていたが、東海四大大会の前日夜の自粛要請にはなす術なく。
さすがに別会場を探す時間はなく、ついに中止を出してしまう。
この時ばかりは流石に心がポッキリと折れてしまった。
もう心身ともに限界だったので、その翌日にはスポパの休業を決断。
その翌日には緊急事態宣言が出た。
忘れられないほどの屈辱をたくさん頂戴したけど
身に余る光栄な応援もたくさん頂戴した。
これら全てが大きな糧。

・5月
緊急事態宣言の延長。
しんどかったけど、こんな中でもエントリーは入り続けていたのが
とても励みになった。
風穴を開けてやりたかったので
最短最速での開催を虎視淡々と狙い、5.23に開催。
きっと世界最速じゃないかな。

・6月
条件付きながらも体育館が再開し始めた。
関西大会では初の和歌山開催が実現。
東海大会では三重開催が本格始動し始めた頃。
再開してもエントリーはなかなか元には戻らないだろうと考えていたが
ソッコーで元通り、ていうか前以上に。
スポーツは生きていく上で必要不可欠なものなんだなと実感。

・7月
怒涛のエントリーを頂戴するのだが、それに応じてトラブルも続出。
施設のルールやスポパのルールを逸脱するケースも。
今までになかったことがアレコレと起き始める。
それだけいろんな人が参加し始めているんだなと危機感を覚え始めたのがこの頃。
コミュニティのあり方について再度見直し。
そんな中、関東大会では月2開催にチャレンジ。
そして、金沢理事が金沢常務理事に、スタッフ牧島くんが牧島ディレクターに、昇進。

・8月
大野さんが入社。
そして初の九州エリアでの福岡開催が実現。
自粛キャンセルなども相変わらず出ているが
いつも通りエントリー数は毎月のように過去最高を更新し続けている右肩上がり。
ただトラブルも続いているため、しんどさがずっと続く。

・9月
チャレンジがあまりできなかった課題の月。
兵庫大会をほぼ週1開催にチャレンジしたくらいかな。
あとは麻雀大会を企画したことくらいか。
日々に忙殺されるとこのように将来に響くよね。。。

・10月
初の中国エリアでの広島開催が実現。
バドミントンミニ大会にもチャレンジ。
参加枠不足がピーク。
参加枠はかなり増やしているのだが、全然追いつかない。
ほぼ全大会がソッコーで埋まる事態に。
そんな中、関東の初スタッフ角田さんが爆誕。
9ヶ月もかかった。。。
そして大野さんの妹ちーこが運営に参戦。

・11月
関東大会は初の3面開催にチャレンジ。
兵庫開催もほぼ週1開催できた。
ただ、兵庫エリアは体育館取得が難しくなかなか安定しない。。
東海大会はエントリー状況が異常なほど激化。
先々月くらいからどの大会も一瞬で埋まり、入れない人が続出。
対策として東海だけ抽選方式を導入。

・12月
スポパ役員ぬまっちさん&大野さん妹ちーこが事務所勤務してくれることに。
初の年末開催にチャレンジ。
しかもバドミントンミニ大会も。


こんな感じ?



目の前のことに忙殺されすぎたなぁと猛烈に反省。

参加枠が足りていないと開催数を急激に増やして

人材不足に陥ってしまい、私自身も大会運営に奔走しすぎてしまった。。


コロナ禍でもしっかりと成長していけたものの

成長速度が鈍化しないかとても不安である。


私自身にしかできない仕事にもっと注力すべきで

中長期的な視点での取り組みが不十分だったかも。


来年もスポパのミッション達成に

責任持って!!!!!!!!

全身全霊込めて!!!!!!!!

取り組む!!!!!!!!!!!!!!

編集者: おすぎ@スポパ代表(正社員募集中)  日付:20年12月31日